藤原
【ふじはら】

旧国名:下野
「ふじわら」とも称した。鬼怒(きぬ)川流域に位置する。地名の由来は,奈良期に藤原アサカリの軍勢が蝦夷征討の帰路にこの地に寄りその一族が住みついて36戸の集落をなしたためといわれ,平安期に藤原氏の荘園の一部であったからとする伝承や,この地に一面に藤の花咲く所があったからという説もあるが,一定していない。千軒山の山麓一帯には縄文中・晩期の集落跡上河原遺跡が,釈迦ケ岳開拓地には縄文早・前期の集落跡であるタテ原遺跡がある。江戸期まで天台宗で明治初年日蓮宗に改宗した慈眼寺には,元応元年銘の板碑(残欠)がある。
【藤原(中世)】 室町期に見える地名。
【藤原村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【藤原村(近代)】 明治22年~昭和10年の塩谷郡の自治体名。
【藤原町(近代)】 昭和10年~現在の塩谷郡の自治体名。
【藤原(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7043530 |




