堀米
【ほりごめ】

旧国名:下野
古くは堀籠とも書く。足尾山地南縁部,関東ローム層に覆われた犬伏台地上に位置する。西部は秋山川・菊沢川が流れ,低地となっている。地名の由来は景行天皇15年に東山道都督であった彦狭島王の亡骸を葬ったこと,つまり掘り籠めたことによるという(堀米町郷土誌)。地内に縄文早期の玄関山遺跡,弥生時代の集落跡である堀米遺跡がある。古墳は5世紀中期に造られた市内最古の八幡山古墳をはじめとして,雷電山や天応寺裏山に6基ほど現存する。一向寺に阿弥陀三尊来迎図板碑があり,紀年銘は欠けてはいるが,鎌倉期の手法が見られることから,小野寺・堀籠氏に関係する板碑であろう。
【堀籠郷(中世)】 鎌倉期~戦国期に見える郷名。
【堀米町(近世)】 江戸期~明治22年の町名。
【堀米町(近代)】 明治22年~昭和18年の安蘇郡の自治体名。
【堀米(近代)】 明治22年~昭和27年の大字名。
【堀米町(近代)】 昭和27年~現在の佐野市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7043640 |




