赤岩
【あかいわ】

旧国名:上野
利根川中流左岸の平坦地に位置し,集落に沿って利根加用水が流れる。地名は,昔浅間山が噴火した時,利根川に流れた赤い岩が残っていたことによる説と(千代田村の民俗),天応年間上野(こうずけ)行脚の修行僧が利根の川岸で夕日に映えた巌に感じ赤岸の稲荷として勧請したことによる説(光恩寺文書)がある。地内には堂山古墳・米山薬師古墳や鎌倉期の五輪塔などが散在し,弘仁5年弘法大師再興開山という光恩寺の木造阿弥陀三尊像と地蔵菩薩画像板碑は県重要文化財に指定されている。赤岩城は佐貫嗣綱が築き,寿永3年源範頼に従い西国に戦った佐貫広綱の時,赤岩から青柳城(現館林市)に移ったといい(千代田村誌),永享12年結城合戦の折,光恩寺殿堂は兵火にかかりことごとく焼けたという(堂山伝記)。
【赤岩郷(中世)】 鎌倉期に見える郷名。
【赤岩村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【赤岩(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7044261 |




