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【いけ】


旧国名:上野

湾曲して流れる鏑(かぶら)川流域に位置し,南東を矢田川が北東流する。北部は鏑川左岸の中山丘陵で西端を中山川が南流する。地名については,昔鏑川が村の中部を横断していたために,低地が東西にわたり,その間に池や沼が河跡湖として残っており,豪雨などがあるとたちまち川のようになった(県多野郡誌)ため,池という地名になったのであろう(多野藤岡地方誌)とする説がある。また「ふるさとの文化財」付記に,かつては羊氏が居住し,採鉱冶金のための池があり,地名の起源になったのではないかと記される。昭和50年頃川床から鯨の化石が発見され,その後丘陵にも発見されている。昭和50年頃にはウミユリや鯨の化石が発見された。縄文・須恵・土師などの土器包蔵地があり,東・西に大古墳群がある(上毛古墳綜覧)。字御門(みかど)には国史跡多胡碑がある。同碑は,和銅4年に甘良(現甘楽(かんら))・緑野(みとの)・片岡の3郡から300戸を割いて渡来人のみで新しく多胡郡を置いた記念碑で,戦国期からその存在は知られ(東路の津登/県史資料編7),江戸期は地頭から手厚く保護され,地元では「羊さま」と呼び神として信仰された。この頃の遺物である布目瓦も出土。「上野国神名帳」多胡郡に見える「正五位上郡御玉明神」は,御門鎮座の大宮神社に比定できよう(上野国神名帳の研究)。碑の近くに弘安7年銘の板碑や,中世の宝篋印塔もある。字堀の内は,寿永年間平氏の将高橋判官の館跡と伝え,南面と北面とに土居を残し,西面は断崖で鏑川に臨む要害,江戸期は代官所陣屋が置かれたという(吉井町誌)。字岡の岡城跡(池城)は,一辺約200mの湾曲した正三角形の単郭のように見えるが,東部は別郭かも知れないとし(群馬県古城塁址の研究下),河原丹後守の居城かとも伝える(吉井町誌),付近には奈良・平安期の古瓦が多量に発見され,官衙か古寺院跡と考えられている。
池村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
池(近代)】 明治22年~現在の吉井町の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7044433