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市野井
【いちのい】


旧国名:上野

大間々扇状地南端の低地に位置する。地内中央やや北寄りを東西に新田堀用水が流れ,同用水の流末にあたる。南部が湧水池の多い低湿水田穀倉地帯,北部が軽鬆土の畑作地帯。地名の由来については,字石塚の一の字池と呼ばれる一本堀の湧水池が,湧出量の多いことから一井とも称されたとの伝承や,同地北部に古代官道の東山道が通り,往古に物の交換や売買の市が立ったところから「市野井」としたとする説もある(群馬の地名)。新田氏の一族一井氏の居館跡は一の字池に隣接するおよそ1町ほどの規模で,地元では「ヘビヤシキ」と呼ぶ。一井貞政の孫にあたる氏政が兵部大輪の官位にあったことから,兵部屋敷が「ヘビヤシキ」に訛ったものと伝わる(生品村郷土誌)。地内には原始・古代の遺跡が分布し,石核・尖頭器をはじめ,縄文土器や土師器が出土している。「上毛古墳綜覧」に生品村6号墳(旆塚八幡),同7号墳(三畝歩),同8号墳(大御堂),同10・11号墳(下原宿)の古墳記載があるが,現存するのは7号墳のみである。「上野国神名張」新田郡の筆頭に見える従三位生階明神は現在の生品神社である。「太平記」巻10(古典大系)に「サラバ軈テ事ノ漏レ聞ヘヌ前ニ打立トテ,同五月八日(元弘3年)卯刻ニ,生品明神ノ御前ニテ旗ヲ挙,綸旨ヲ披テ三度是ヲ拝シ,笠懸野ヘ打出ラル」とあるように,新田義貞が後醍醐天皇の命をうけ鎌倉幕府倒幕の兵を挙げた地である。中世新田荘の隆盛を裏づけるかのように村内には板碑そのほかの中世石造物の出土が多く,これまでに50面余を数え,年代的には応長元年から水和4年に集中する。板碑の出土地は生品神社周辺をはじめ字本郷地内である。本郷地内に「八反八屋敷」の伝承があり,塁濠を構えた屋敷が残る。八反八屋敷跡の中で「油屋敷」あるいは「孫兵衛屋敷」と呼ばれる屋敷跡(現在畑地)があり,昭和60年約4,000枚の埋納銅銭が出土した。
一井郷(中世)】 鎌倉期~戦国期に見える郷名。
市野井村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
市野井(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7044495