一ノ宮
【いちのみや】

旧国名:上野
鏑(かぶら)川中流域段丘面に位置する。標高210~240mの上位段丘面は蓬ケ丘といい,上野国一の宮貫前神社があり,この丘を中心に南北に傾斜した地域である。地名は,式内社である上野国一の宮貫前神社の鎮座していることにちなむ。「和名抄」甘楽(かんら)郡十三郷の1つ貫前郷に比定される。下位段丘に所在する本宿・郷土遺跡では,古墳時代から中世にわたるおびただしい遺構が発掘調査され,この地域の拠点的集落とみられる。遺構は古墳時代の居宅の周溝跡,竪穴住居跡126軒,掘立柱建物跡2棟,堀跡3本,奈良~平安期の竪穴住居跡119軒,中世以降の掘立柱建物跡2棟,堀跡35本,井戸跡24本,墓壙および土壙91基などであった。太子堂塚古墳は6~7世紀に建造された前方後円墳で,墳頂に芭蕉句碑・雲裡坊句碑が建立されていて,その句から旅寝塚ともいう。この句碑は県内に所在する約200基にのぼる芭蕪句碑のなかで,「諸国翁墳録」の最初に登録されている。この古墳と本宿・郷土遺跡南の堂山稲荷古墳は,甘楽町の笹の森古墳,同天皇塚古墳に次ぐ鏑川中流域における大規模の前方後円墳である。蓬ケ丘上の貫前神社を挟んで東には中世の一の宮氏館跡,西に尾崎氏の弥勒屋敷跡がある。ともに貫前神社の社人の居館跡であり,同社別当寺の光明院は尾崎氏により創建されたと伝える。
【一宮荘(中世)】 室町期に見える荘園名。
【一ノ宮町(近世)】 江戸期~明治22年の町名。
【一ノ宮町(近代)】 明治22年~昭和29年の自治体名。
【一ノ宮(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7044502 |




