内ケ島
【うちがしま】

旧国名:上野
金山丘陵の南東,洪積台地と沖積低地に位置する。洪積台地の割合が高く,土地は全般に平坦で南東へわずかに傾斜している。地名は,「内」はある外界の内側,「島」は所々の洪積台地の高まりを意味するかと思われるが不詳。地内北部には古墳時代の天神山(男体山)古墳がある。東日本最大,全国約20位の規模の前方後円墳で主軸210m,同高さ16.8m,5世紀後半頃のものと思われ,畿内大和政権との強いつながりをもつ大首長の墓と推定される。その東隣には古墳時代の大規模帆立貝形式の女体山古墳があり,両者には深い関連があると考えられ,ともに国史跡に指定されている。ほかに古墳時代の天神山古墳陪塚・内ケ島古墳群,その他の包蔵地など古代遺跡が多い(太田市の文化財・県遺跡地図)。
【内島郷(中世)】 室町期に見える郷名。
【内ケ島村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【内ケ島(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7044633 |




