上黒岩
【かみくろいわ】

旧国名:上野
鏑(かぶら)川支流星川の最上流域に位置し,地内は丘陵で起伏が多い。地内には多くの溜池があり,用水に供し飯島堀に入る。飯島堀は下黒岩境で星川となる。星川は上打越からの流れと字機足からの機足川と字落合で合し,東流する。字高林には高林城跡がある。単峰の山城で頂上は円形平地,山腹にも平地があって俗に御殿跡という。字打越の第三紀層からオオツノジカの化石が寛政9年に出土,同年七日市藩に提出され,昭和8年旧藩主前田家から蛇宮神社に寄贈された。出土の翌寛政10年出土地に石宮が建てられ「竜骨碑」といって両側面と裏面にその由来を刻している。字大日の黒岩山遍照寺には、寛政12年谷元旦が描き丹波元簡の鑑定文が識された絵図がある。これに関しては「朝陽館漫筆」「西埜私記」および「富岡市上黒岩出土のオオツノシカ」(県立歴史博物館紀要3)などに記されている。オオツノジカ化石骨(現存12点)・丹波元簡実測鑑定図・出土記念竜骨碑は市天然記念物となっている。
【上黒岩村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【上黒岩(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7045013 |




