鹿田
【しかだ】

旧国名:上野
北に鹿田山が馬蹄形に西に開口し,山の中央部に,緩やかな丘陵地帯があり,東側に銅山街道が走り,岩宿遺跡のある大字阿左美の稲荷山に接し,西側は西鹿田の向山・稲荷山・峰・和田の山々が,やち田を挟んでつながっており,鹿田山を背に南面に広がる大間々扇状地上の平坦地である。地名の由来は,昔一帯に鹿が多く棲み,田畑を荒らし殺されるのを哀れみ,鹿専用の水田を設けたことによると伝わる。鹿田山丘陵地帯は縄文時代全期にわたる遺跡が多く,遺物も多く出土している。弥生時代の遺跡は少ないが,住居跡が確認されている。昭和10年調査の上毛古墳綜覧によれば,6世期中頃の古墳6基が記されており,被葬者はいずれも,上毛野(かみつけぬ)氏族とある。鹿田山南麓の山際地内に上野国分寺創建期の瓦を焼いた窯跡がある。鹿田山山麓から延慶3年,正慶2年など,新田義貞鎌倉討幕頃の板碑が発見されている。越後上杉氏が永禄年間から天正年間にかけて,佐野攻略の途次,鹿田山で休息した謙信旗立ての峰,物見の松などが語り継がれている。
【鹿田郷(中世)】 室町期に見える郷名。
【鹿田村(近世)】 江戸期~明治9年の村名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7045586 |




