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下高尾
【しもたかお】


旧国名:上野

鏑(かぶら)川支流星川中流域に位置する。南・北は丘陵,東は平坦地。承和2年山城国高尾山神護寺の僧真済が,関東諸国で一切経を写し鎮護国家を祈祷した折,当地に庵を営んで写経したことにちなむという。遺跡は小円墳が3基ある。鎌倉期のものとしては,星川に架かる天王橋を渡った字六年の築土上に,県重要文化財仁治の碑がある。「上野国志」には梵字と碑文を記し「高尾村制札の旁にあり,元は橋に掛て在りしを此処に移す」として「土に埋る処三尺許,土中に埋る所にも文字あれど不見,此碑奇物なり,碑文の姓名他書に考える所なし,中に壬生氏多し,壬生姓は上野の国人なり」と記している。高さ276cm・幅97cm・厚さ9cm,緑泥片岩の初期板碑で県内で3番目に古い。明治初年楫取県令の命で現在地に保存されるようになった。碑の上部に金剛界5仏と薬師如来を梵字で縦に2列に刻み,その下に「仁治四年大歳癸卯二月廿六日」と横書きに刻み,その下方に壬生姓5名・小野姓4名・藤原姓5名・春日姓2名・六人部姓2名・物部姓2名,安倍・大宅・日奉姓各1名,解読不能も含めて30名ほどの姓名が刻まれている。これらは貫前神社を中心とした当地方の豪族とみられる。なお,暦応3年9月13日の和田盛行・小幡氏泰連署打渡状,同年10月22日の和田基業請文,同4年6月29日の将軍足利尊氏御教書の3通は「上野国高尾村地頭職」に関するもので,もと高尾氏の知行であったが,瀬下氏に宛行われ,さらに熊谷直経に宛行われたことが知られる(熊谷家文書/県史資料編6)。また大永5年の年紀を有する,富岡市上高尾出土の銅経筒に「上野甘楽郡高尾村」と見える(経塚遺文564)。
下高尾村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
下高尾(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7045693