高松町
【たかまつちょう】

(近代)明治4年~現在の町名。はじめ高崎町,明治33年からは高崎市の町名となる。江戸期は高崎城丸の内の地域。町名の由来について,「更正高崎旧事記」に「老平云,松ハ延齢ノ木ニテ疆ナキヲ祝ヒ,以テ松ノ名ニ高ヲ冠ラシムハ高ハ大イナル意ニテアレバ也。又高崎ノ高ニモ由緒アリテ也。又松ハ松平氏ノ領セシ城ノ名残アリテ,是モ由アルナリ」とあり,また「服部権云,往古当地ヲ松ガ崎ト称セシ旨伝承アリ,且高崎ノ高ノ一字ヲ取,高松町ト号クル也」とある(高崎市史)。町名が付されたものの,明治5年高崎城跡は兵部省に引き上げられ,翌年には第1軍管東京鎮台高崎分営が置かれ,同17年陸軍省は歩兵15連隊を設置,以後第2次大戦終戦時まで,内町は陸軍省が管轄した。当町が町扱いになったのは戦後の城地開放になってからで,戦前は町名のみの町であった。終戦時,旧兵舎は引揚者住宅や青年師範学校・中学校校舎などに用いられていたが,徐々に整理され,昭和25年高崎保健所,同28年国立高崎病院(旧高崎陸軍病院)などの医療機関,また昭和26年建設省関東地方建設局高崎工事事務所,同29年高崎市役所,同34年県立青年の家,同35年高崎税務署,同36年群馬音楽センター,同39年高崎簡易裁判所,同42年高崎正検察庁,同43年高崎拘置所など数多くの公共機関が設置され,高崎の行政・文化の中心の町になっていった。町内の城趾公園には十五連隊碑・飛竜の松・高崎城乾櫓などがある。また外濠の土居に植えられた桜は高崎の春のシンボルとして市民に親しまれている。明治21年の「名称区域」では,戸数・人口の記載がなく,宅地33町3反余。また同32年高崎町区長規定には町名があるが戸数は示されていない。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7046052 |




