多胡
【たご】

旧国名:上野
鏑(かぶら)川右岸の多胡段丘上に位置する。縄文・弥生・須恵・土師などの土器包蔵地で,円墳23基がある(上毛古墳綜覧)。多胡の名称は,和銅4年多胡郡の新設に初出し,これは外来人が多く住んでいる郡という意味で,郡をつくった時に新しく考え出されたものであろう。中世には木曽義仲の父義賢の領有する多胡荘に属し,字元郷は多胡先生義賢の居館と伝え,塩村・大沢村・神保村飛地字八束にまたがっている八束山は通称城山で多胡上城,金沢城通称下城山は多胡下城,この三者が義賢の居城館と考えられ,館跡の北に戦国期の多胡城跡がある(群馬県古城塁址の研究下)。「源平盛衰記」「吾妻鏡」や関東幕注文(上杉家文書/県史資料編7)などに見る多胡氏は,当地に住んだ武士が多胡郡の多胡を取って苗字にしたもので,その武士の住む範囲の地を,多胡とせばめて呼んだことから,土地に定着したのであろう(群馬の地名・吉井町誌)。
【多胡(古代)】 奈良期に見える地名。
【多胡荘(中世)】 鎌倉期~戦国期に見える荘園名。
【多胡村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【多胡村(近代)】 明治22年~昭和30年の自治体名。
【多胡(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7046077 |




