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内藤分
【ないとうぶん】


旧国名:上野

前橋台地,利根川右岸に位置する。元亀年間に内藤昌豊が保渡田城にあって石倉城を支配して以来内藤分村と呼ばれ,地名は内藤氏の持ち分の意である。天正3年内藤修理が長篠の合戦に出陣して戦死したため,保渡田城にいた修理の子外記が厩橋の城代北条丹後守に降伏し,石倉治郎が領することになり,天正3年以降から石倉の地名が生まれたという(泰亮和尚石倉記)が,もとは,石倉で,上野(こうずけ)国府に係る石倉または屯倉があったとの説がある。石倉の地名から石倉城になったものと思われる。石倉城は中世における拠点であり,上杉・武田・北条の攻め取り合いの1つであった。現在は区画整理により堀などは削平されるとともに利根川の変流に崩れ落ちて形状を知ることはできない。総社神社に石倉城の石垣で造ったとされる御榊台がある。
内藤分村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
内藤分(近代)】 明治22年~大正6年の元総社村の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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