西中之条
【にしなかのじょう】

旧国名:上野
吾妻(あがつま)川支流胡桃沢川・枯木沢川流域に位置する。戦国期地侍の成田氏が西中之条城を中心にして,付近の村を合わせ西中之条郷の母体を作ったといわれる。地内高台の永田原・山崎などには縄文晩期と弥生時代の土器破片が散在し,柴宮前・永田原からは須恵器の破片が出土している。中央の台地に勧請年月不明の柴宮神社があり,山崎に観音堂がある。昭和10年の古墳一斉調査票によれば,地内には古墳が13基あった。
【西中条(中世)】 戦国期に見える地名。
【西中野条村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【西中之条(近代)】 明治22年~現在の中之条町の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7046536 |




