東国分
【ひがしこくぶ】

旧国名:上野
榛名(はるな)山南東麓,牛池川流域に位置する。地名は,古代の国府と国分寺建立とにちなみ,寛永12年の検地帳から東国分村と称した(郡村誌)。国分寺跡の東西から縄文土器破片や石器が出土。字村前一帯に国分寺跡,字礎に国分尼寺跡がある。これらは天平13年聖武天皇の詔によって建てられた寺で,建立やその後の経緯を語る史料として「続日本紀」「上野国交替実録帳」「将門記」「吾妻鏡」などがある。大正14年塔跡と金堂跡が国史跡に指定され,昭和44年以降県教育委員会が発掘調査と整備保存を進めている。応永13年利根の勘解由景朝が国分寺より持ち去った十一面観音像が沼田市三光院にある。中世遺物として住谷俊彦蔵応永の妙見寺巨鐘,永享年間の鰐口(山吹日記),国分寺金堂跡の応永の宝篋印塔6基,元亨・貞和の板碑などがある(国府村誌)。
【東国分村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【東国分(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7046748 |




