溝呂木
【みぞろぎ】

旧国名:上野
赤城山麓原に位置し,南縁を輻射谷天竜川が西流する。前窪沢を北限とする。中央の黒沢川源流の沢が刻んだ浅い輻射谷によって広い舌状台地に二分される。台地は桑園・畑,浅い沢は水田に利用される。地名は往古みぞろが池があって,蛇抜けといわれる崩壊によって消滅したと伝える池にちなむという。「みぞろ」は真泥の訛という。「和名抄」勢多郡九郷の1つ深渠郷の地というが,その証はない。字南遠廻,通称大師堂に湧玉(わくたま)と呼ばれる湧水があり,その南北の台地には縄文中・後期の土器片,石器(石斧・石鏃)が散布,字大塚・刀塚には字名起源となった小古墳がある。字駒場は古代拝志(はやし)牧の集馬場であったと伝える。中世末には白井城主長尾氏の幕下狩野隠岐守祐範,南雲大膳らが居住し,その墓が大蓮寺跡墓地にある。祐範の子孫狩野直之助宅には系図や北条氏直の感状などの古文書が残されている。なお年未詳8月17日の狩野隠岐守宛北条氏直感状写(狩野元之助氏所蔵文書/県史資料編7)に「次去月廿一日溝呂木之地之南雲大膳,於森下敵弐人打捕」と見えるが,この史料は検討の余地がある。
【溝呂木村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【溝呂木(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7047072 |




