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横野村
【よこのむら】


(近代)明治22年~昭和31年の自治体名。はじめ南勢多郡,明治29年からは勢多郡に所属。赤城山の西麓,山腹丘陵穴山を頂点に利根川までの山地・山麓・河岸段丘にわたって位置する。持柏木・溝呂木・北上野・勝保沢・見立・滝沢・上三原田・三原田・樽・宮田の10か村が合併して成立。旧村名を継承した10大字を編成。村役場は滝沢乙69番地に設置。村名は古来赤城山西麓の原野の呼称を採ったと伝える(横野村誌)。明治24年の戸数579,人口は男1,739・女1,689,学校2・水車場32・船1。宮田学校は明治19年に併設された刀川英学校を同23年合併,刀川尋常高等小学校と改称,同43年見立字二城に新築移転し現在に至る。水利不便な当村は明治45年・昭和6年,チフスが大流行し,多数の死者を出した。昭和3年隣接の北橘村に関東水力電気が佐久発電所を建設,このために井戸水位の低下をきたし,この2つが重なって電力会社の助力により簡易水道が敷設され普及した。大正9年三原田に三原田電気が発足,翌年には全村に電灯が普及した。江戸期から中部を南北に沼田街道が通り,溝呂木には宿があったが,明治8年清水越往還が利根川左岸を通るようになり,樽・宮田に旅宿などができて栄え,沼田街道はさびれた。昭和7年不況対策と不便な東西交通打開のため,トンビ坂(樽~三原田との間)の開削が行われ,県道渋川大間々線が開かれ,同11年には渋川~溝呂木間にバスが通るようになった。また大正13年には利根川左岸に国鉄上越線が沼田まで開通した。明治23年に興された宮田生産会社は同28年資本金40万円で宮田銀行として営業を開始したが,昭和26年大同銀行(現群馬銀行)に合併された。昭和26年カスリーン台風のため南縁を西流する天竜川が山津波を起こし,死者15・流失家屋17の大災害を受けた。昭和17年頃赤城山,同27年には東部の溝呂木・持柏木・赤城山の各一部から栄が起立,12大字となる。同31年赤城村の一部となり,12大字は同村の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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