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金鑽村
【かなさなむら】


旧国名:武蔵

(近世)江戸期~明治5年の村名。金左那とも書く(記録御用所)。県北西部,神流(かんな)川下流右岸に位置する。児玉(こだま)郡八幡山領のうち。古くは金鑽郷若泉荘に属していたという。地名は,当地に鎮座する中世には児玉党の氏神でもあった延喜式内社と伝えられる金鑽神社の社名による。また「かなさな」は金砂を意味するという。当地域は戦国期には渡瀬の御嶽城の城将で武田家に随伴した長井政実の支配下にあった。はじめ幕府領,元和2年からは旗本花房氏の知行。同3年5月26日,徳川秀忠が金左那村ほか6か村65石を旗本花房正栄に宛行っている(記録御用所)。村高は「田園簿」では96石余,うち田32石・畑64石,「元禄郷帳」では126石余,以後変わらず。用水は渓水を使用。村の規模は東西5町半・南北7町。化政期の家数14軒。鎮守は近村33か村の総鎮守金鑽神社。同社の多宝塔(国重文)の真柱には「天文三年八月晦日 大檀那阿保弾正金隆」の銘がある。天台宗金鑽山一乗院大光普照寺(別名金鑽寺)は金鑽神社の別当で,関東天台三談所の1つであった。同寺は戦国期には鉢形北条氏邦から寺領の寄進を受け,天正19年には徳川家康から寺領30石を当村内に拝領。なお北条氏邦などの中世文書多数を所持。天保5年金鑽神社は焼失したが,のち再建され,明治6年県社兼郷社となる。明治5年萩平(はぎだいら)村と合併して二ノ宮村となる。現在の神川町大字二ノ宮のうち。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7048486