塩谷
【しおや】

旧国名:武蔵
「しおのや」とも読み,塩野屋(松村文書)とも書いた。県北西部,南部山地が尽きる丘陵末端に位置する。地名の由来は不詳だが,武蔵七党の1つ児玉党の一族塩谷家遠の旧地で,「子孫連綿として居住せし地」と伝える(新編武蔵)。「吾妻鏡」には塩谷氏に関する記事が散見し,元暦元年2月7日条には一ノ谷合戦に際して源範頼に「相従之輩」として塩谷五郎惟広が見える。惟広は惟弘とも書き,奥州合戦で戦死したという(七党系図)。惟広の子惟守らが当地に住したが,建暦3年の5月2・3日,和田合戦ではその子惟光とともに討死にを遂げている(吾妻鏡・七党系図)。地内に縄文期の集落跡塩谷篠遺跡がある。
【塩谷郷(中世)】 南北朝期から見える郷名。
【塩谷村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【塩谷(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7049564 |




