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嶺岡山
【みねおかやま】


峰岡山とも書き,簑岡(みのおか)山ともいう(千葉県古事記)。安房丘陵の北部に位置し,鴨川市平塚の西南部から東に続き,太平洋岸に至る山地。東西約30kmで,大部分は鴨川市に属するが,西南部は富浦町・丸山町に属する。昭和10年嶺岡山系県立自然公園に指定された。北は加茂川流域の加茂川地溝帯,南は曽呂川流域の曽呂地溝帯で区切られた地塁山地であるが,浸食が進み,北麓・南麓とも緩やかな斜面を形成する。北麓は山林が主であるが,南麓は山頂付近まで等高線に並行して細長い棚田が開かれ,海岸近くには別荘団地が造成されている。地質は古第三紀の砂岩・頁岩・泥灰岩で構成される嶺岡層群からなり,これにハンレイ岩・蛇紋岩・玄武岩など房総では珍しい火成岩が貫入する。蛇紋岩は風化が進み,特に南麓の鴨川市曽呂地区には地すべりが多発する。主な峰は西から二ツ山(376.0m)・愛宕山(408.2m)・嶺岡浅間(せんげん)(360.8m)が続き,以後稜線は緩やかに太平洋岸へと傾斜し,鴨川市貝渚(かいすか)の竜光山(177m)・浅間山(106m)を経て同市磯村海岸に至る。嶺岡浅間の東には鞍骨山(340m)があったが昭和40年より採石のため崩され,玄武岩と蛇紋岩の岩肌を露出している。採石場の下には白滝不動がある。竜光山の西には第2次大戦中蛇紋岩に含まれるニッケルを採掘した露天掘りの跡が残る。磯村海岸には,嶺岡山に貫入した玄武岩質の溶岩が海中に流れて,枕を重ねたように固まった枕状溶岩が見られる。江戸期嶺岡山一帯は,幕府直轄の馬牧の地とされ嶺岡牧と呼ばれた。現在愛宕山南麓にその伝統を継ぐ県乳牛試験場がある。昭和45年,鴨川市江見の嶺岡東上牧で七鈴鏡・三彩骨蔵器蓋・銅鏡・須恵器などが発見され嶺岡遺跡と命名された。火葬墳墓の跡ではないかと推測されている。鴨川市細野出身の歌人古泉千樫は,嶺岡山北麓の山焼きの様子を「みんなみの嶺岡山の焼くる火の今宵も赤く見えにけるかも」と詠んだ。同市平塚から太海(ふとみ)に至る嶺岡山の尾根伝いには林道が通り,通称嶺岡スカイラインと呼ばれている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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