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聖天町
【しょうでんちょう】


旧国名:武蔵

(近世~近代)江戸期~昭和41年の町名。明治44年~昭和22年を除き浅草を冠称。町名は大聖歓喜尊天を安置する金龍山聖天宮(現在の待乳(まつち)山本龍院)に由来する。成立年代は不明だが,「承応中浅草寺領となり,のち漸く市肆を開く」(案内)とあり,寛文江戸図にはすでに「聖天丁」と記されている。文政年間の家数は横町を含め618軒。鶴屋の米饅頭が有名で,下駄・草履の鼻緒を売る店が多かった(買物独案内)。明治元年東京府に所属。同5年の戸数530・人口2,091(府志料)。昭和22年からは台東区に所属。同23年,隣接の浅草山川町・浅草金龍山瓦(かわら)町・浅草山ノ宿町を合併して町域を拡大,同41年,大部分が現行の浅草7丁目となり,江戸通り西側部分が浅草6丁目となる。本龍院は浅草寺の末寺で,往古から庶民信仰を集めていたが,特に江戸期から明治期にかけては待乳山(標高9.5m)からの隅田川の眺望を賞する文人墨客の吟遊地として有名であった。境内山頂に現存する戸田茂睡の歌碑「あはれとは夕越えて行く人も見よ待乳の山に残す言の葉」がある(昭和30年修復)。また山谷堀(さんやぼり)沿いに,「土手の道哲」といわれた弘願山西方寺(開基道哲)があったが,小塚原(こづかはら)(荒川区)移転以前,同寺の門前が刑場だったので,道哲は罪人のために念仏を念じていたという。西方寺は豊島区へ移転し現存。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7061467