太子堂
【たいしどう】

旧国名:武蔵
地名の由来は,慶長16年10月13日寂の賢慧法印開山の新義真言宗聖王山法明院円泉寺の境内に長さ1尺1寸の弘法大師作と伝える聖徳太子像をまつる太子堂があるのにちなむ。この地を円泉ケ丘という。また,代田(だいた)村との境に同前山(胴勢山)という土器塚があり,小名ともなっているが,源義家が奥州征伐の途上,同勢らを休めて酒宴を開き,その土器を埋めたという伝説がある。天正年中には,豊島郡関村(練馬区)の与左衛門がこの塚のほとりの芝地一石のところを開発したので,与左衛門は一石百姓とよばれ,その子孫は化政期にも同地に住んでいたという(新編武蔵・世田谷区史)。
【太子堂村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【太子堂(近代)】 明治22年~昭和7年の大字名。
【太子堂町(近代)】 昭和7~43年の世田谷区の町名。
【太子堂(近代)】 昭和40年~現在の世田谷区の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7062078 |




