高砂町
【たかさごちょう】

旧国名:武蔵
(近世~近代)江戸期~昭和7年の町名。東は浜町川に面し,高砂橋が架けられていた。明暦の大火後に起立した町で,それ以前は遊廓街。「江戸紀聞」に「此地は一円の沼にして葭茅の類おい茂りしかば(中略)先ず地形を築き立て」とあり,元和3年庄司甚右衛門が拝領して吉原(よしわら)を開創した。大火後吉原は浅草に移転し,跡地が町地となった。町名は謡曲の題にちなむ。町内西横の通りを横店(画報),南側の通りを駕籠屋新道(かごやしんみち)(府志料・安政板切絵図)といった。明治元年東京府に所属。同5年の戸数122・人口469(府志料)。同11年日本橋区に所属。昭和7年富沢町に編入。現行の日本橋富沢町の一部で久松小学校の西側の地。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7062136 |