百草
【もぐさ】

旧国名:武蔵
茂草とも書く。「新編武蔵」には「ことに草莽の地なりしにや,昔は茂草とかきたりといえり」と見え,江戸中期以降,百草と記すようになった。地内の八幡社は天平年間の創建で,のち康平5年源頼義が,奥州征討の帰途再建したと伝える。また別当慈岳山松蓮寺は古くは天台宗で舛井山と号し,新田義貞が国分寺に放火した際,当寺も兵火で焼失したという(新編武蔵・武蔵名勝)。同寺所蔵の八幡本地仏の背銘には「武州多西吉富真慈悲寺」と見え,真慈悲寺については「吾妻鏡」にも見える寺であるが,多摩市域に所在したものとされている。また松蓮寺に旧蔵された経筒は,長寛・永万・建久の銘を有し,「百草村松蓮寺」等の文字を刻するが,後に刻まれたものと推定される。
【百草村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【百草(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7064868 |




