中里村
【なかざとむら】

(近代)明治22年~昭和14年の都筑(つづき)郡の自治体名。多摩丘陵東縁部に位置し,地内を鶴見川・恩田川が流れる。下谷本・上谷本・成合・鴨志田・寺家・鉄(くろがね)・黒須田・大場・市ケ尾・西八朔・北八朔・小山・青砥の13か村,および下麻生(しもあさお)村飛地が合併して成立。下麻生村を除く旧村名を継承した13大字を編成。下谷本に役場を設置。明治24年の戸数608,男1,922人・女1,953人。世帯数・人口は大正9年766・4,369,昭和10年845・4,710。大正期以降,野菜の栽培が増加し,米・雑穀を中心とする農業から近郊農業へと徐々に脱皮。大正期の主要作物は米・大麦・小麦・大豆・サツマイモ・ダイコン・ナス・ネギ・ゴボウなど。明治20年代以降養蚕が農民の副業として本格化し,大正10年で全戸数の61%にあたる475戸が従事,普及度は都筑郡諸村の内で柿生・岡上村組合,田奈村に次いで高い。このほかに,カキの出荷(都筑郡内第3位)・木炭製造(同第2位)などが行われる(都筑郡郡勢一班)。明治37年市ケ尾に中里村信用組合,大正5年鉄に中里信用販売組合を設置し,農業の振興に努める。村社は,指定村社の杉山神社2社(上谷本・青砥)・熊野神社(寺家)のほか9社。また郷社として西八朔の杉山神社がある。昭和14年横浜市港北区の一部となり,村制時の13大字は同区の町名に継承。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7068203 |