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別願寺
【べつがんじ】


鎌倉市大町1丁目にある寺。時宗。稲荷山起正院と号する。本尊は阿弥陀三尊。もとは能成寺と号する真言宗寺院であったが,弘安5年5月,一遍の来遊に際し,時の住持公忍が一遍に帰依して覚阿と名乗り,現寺院号に改め,以降時宗になったという(新編相模)。室町期には鎌倉公方家の菩提所となったようである。永徳2年10月29日,鎌倉公方足利氏満は父基氏の菩提を弔うため,下総国相馬御厨内横須賀村を当寺に寄進(別願寺文書/県史資3上-4907)。明徳2年9月8日には,下野国薬師寺荘半分の地を寄進し,応永7年12月30日,満兼は父氏満菩提のためそれを安堵している(同前5083・5270)。同13年5月12日には名越の報恩寺敷地ならびに山林を寄進。同22年12月20日には,持氏が父満兼菩提のために領地を安堵。同27年2月19日,やはり持氏が門前の畠等を寄進している(同前5378・5486・5609)。「遊行縁起」(県立博物館所蔵)には「鎌倉殿御信仰ありて御弟子に成,日十念御申あり」と記されており,持氏が遊行13代上人(藤沢山7代)尊明の弟子になったことを伝えている。境内には持氏の墓と伝える宝塔があるが,鎌倉後期の製作と考えられている(新編相模・鎌倉市史考古編)。天文22年11月15日,北条氏康は先年棟別銭半分を免じた残り108文を重ねて免除し,永禄9年8月5日には小田原北条氏家臣の大道寺資親が敷地3貫文を安堵している(県史資3下-6950・7505)。天正19年に徳川家康は鎌倉内で2貫560文を寄進し,この高は江戸期を通じて安堵されている(記略・寛文朱印留)。天保12年2月10日に足利持氏の400回忌を修している(藤沢清浄光寺所蔵藤沢山日鑑)。本尊脇侍の魚藍観音菩薩は鎌倉三十三か所観音巡礼の第13番札所。




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「角川日本地名大辞典」
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