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明月院
【めいげついん】


鎌倉市山ノ内にある寺。臨済宗建長寺派。山号は福源山。本尊は如意輪観世音菩薩。執権北条時頼が建立した最明寺を,北条時宗が来朝僧の蘭渓道隆(大覚禅師)を開山に請じて再興した福源山禅興久昌禅寺(禅興寺,のちの関東十刹)の塔頭。創建時には明月庵と号し,上杉憲方(関東管領)の開基で,密室守厳(大覚派)の開山という(鎌倉志)。創建時の寺領として,永徳3年に2代鎌倉公方足利氏満より憲方寄進の相模国山内荘岩瀬郷を安堵された(明月院文書/県史資3上-4941)。また至徳2年には常陸国志太・古来・矢作・中村などの郷が憲方によって寄進され(同前4993),翌3年には僧道光から白河局跡であった山内荘岩瀬郷内の田地が寄せられている(同前5005)。応永元年,開基上杉憲方が没して法名を明月院殿天樹道合と号したことから院号を用いるようになった(新編相模)。この後も上杉氏を中心とする武士の保護が続き,上杉憲定より上野国長野郷内西柴村半分および武蔵国馬室郷5分の1を,同23年上杉憲基からも上野国長野郷内簸輪本郷を寄進されている(明月院文書/県史資3上-5326・5489)。また応永12年には憲方の菩提を弔うため大石大炊助が,武蔵国足立郡馬室郷に創建した大工山妙楽寺を当院の末寺としている(同前5357)。寺領寄進の例が示すように,室町期を通じて山内上杉氏の庇護を受けて寺基の確立を見る。そして禅興寺8世の玉隠英璵(宗献大光禅師)が当院に住している。彼は大覚派の五山文学僧として著名で,建長寺所蔵の喜江頂相賛,浄智寺所蔵の建長寺西来庵修造勧進状などは彼の作。室町中期の最盛期には棠蔭軒・月笑軒等の寮舎が軒を連ねた(明月院古図・五山記考異)。戦国期に入り小田原北条氏の時代,天文16年氏康より1貫750文の地を寄進され,同年明月院分180文の他に禅興寺総門内の地1貫681文および同所の山野・竹林を寄進され,本寺とする禅興寺をしのぐ立場に位置している(明月院文書/県史資3下-6828・6843)。「役帳」には今泉に「三十一貫九百七十文」「廿貫文御蔵出,以上五十一貫九文,東郡岩瀬之内百七十七文」とある。徳川家康関東入封後の天正19年には,建長寺総高101貫760文の中の31貫文が当院領とされ(建長寺朱印領配分帳),慶長5年の「建長寺寺領水帳」でも当院領30貫文余とある。当院は禅興寺内の塔頭として創建されたが,明治初期に禅興寺は廃寺となり,当院のみが残った。寺蔵の什物には国重文などがあり,境内には上杉憲方墓と伝える宝篋印塔を安置したやぐらと北条時頼墓といわれる変形宝篋印塔がある。あじさい寺の俗称で知られる。




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「角川日本地名大辞典」
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