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黒川藩
【くろかわはん】


旧国名:越後

(近世)江戸期の藩名。蒲原郡黒川町に陣屋を置いた譜代小藩。藩祖松平経隆は柳沢吉保の四男で,享保9年甲斐国から移され,1万石を与えられて立藩。以後廃藩置県に至るまで,経隆・里済・里旭・保卓・信有・光被・光昭・光邦と8代にわたって支配した。なお,享保10年2代里済が家督を継ぐと柳沢に復姓。帝鑑間詰。江戸定府。江戸の上屋敷は牛込横寺町,下屋敷ははじめ浜町,元文6年より本所割下水。所領は,幕府館村代官所管内のうち蒲原郡黒川組・蔵光組・大友組の42か村を与えられ,明和6年蔵光組の2か村が上知され,代わって黒川組のうちの2か村が藩領となり,蔵光組は熊出組と改称された。明治元年領分郷村高辻帳によれば,蒲原郡黒川町・江端・近江新・塩沢・荒沢・持倉・赤谷・半山・飯角・関沢・小国谷・浦・箱岩・赤川・古楯・北中江新・下三光・上楠川・上三光・中川新・上石川・下石川・滝・小出・上寺内・下寺内・下館新・荒沢・熊出・大友・高関・宮古木・小戸・上板山・下板山・上羽津・下羽津・田貝・虎丸・石喜新・西姫田・敦賀新の42町からなる。藩財政は立藩以来きわめて困窮し,しばしば御用金を課した。戊辰戦争では会津藩の申入れにより奥羽越列藩同盟に家臣を送る。藩校弘道館は安政年間頃黒川陣屋内に設置。菩提寺は東京都新宿区河田町の月桂寺。明治2年の版籍奉還時の草高1万石,現石高4,760石。同3年には草高1万1,386石,戸数2,022(藩制一覧)。同年7月新潟県を中心とした大規模な支配替えが実施され,この結果は当藩領の旧高1万1,839石余のうち据置高2,051石,上地高9,787石に対して代地高9,808石(新潟県から9,300石,三日市藩から507石)で,新高1万1,859石となった。上地高が82%にものぼる大規模な村替えであった。同4年7月14日廃藩置県により黒川県となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7072775