猿供養寺
【さるくようじ】

旧国名:越後
関川支流大熊川最上流域。山寺薬師を中心とする山岳仏教の山寺三千坊の寺を中心としてできた集落。字正浄寺・法徳寺・寺屋敷などがあり,寺院・仏教の伝承も残る。なお,「今昔物語集」巻14越後国々寺僧為猿写法花語第6によれば越後国三島(みしま)郡国寺の僧のもとに2匹の猿が山芋や木の実などを持参して法華経の書写を依頼したと伝える(古典大系)。類似の話は「法華経験記」「古今著聞集」「元亨釈書」にも見え,いずれも三島郡の寺での出来事とするが,あるいは当地での事件を誤り伝えたものともいう(地名辞書・県史)。
【猿供養寺(中世)】 戦国期に見える地名。
【猿供養寺村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【猿供養寺(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7073515 |




