100辞書・辞典一括検索

JLogos

21

殿町
【とのまち】


旧国名:越後

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は長岡城下の1町。明治初年~明治43年は長岡を冠称。同年1~4丁目,昭和36年からは1~3丁目がある。城郭の南側,東西に走る武家屋敷。町名の由来は,藩主住居の有隣亭という別邸があったことによる。この別邸の西隣に文化5年藩校崇徳館が開校。校舎は萱葺2階建てで総建坪160歩半であった。生徒は年齢制限はなかったが,武士の子弟に限った。生徒は謝礼として年100文を納め,常時約200名も在籍していた。慶応4年戊辰戦争で武家屋敷も崇徳館も焼失。明治14年高橋竹之介が私塾誠意塾を開いた。同34年の閉塾までに入門したものは600人に及び,儒学を教えた。明治22年長岡本町,同34年長岡町,同39年からは長岡市に所属。大正9年の人口1,773,昭和9年の世帯数450・人口2,206。大正13年四郎丸の一部を編入。一部が昭和36年台町1~3丁目,同38年城内町1~3丁目となる。同年東千手町・荒屋敷町・坂下町の各一部を編入し,東坂之上町1~2丁目・坂之上町1~2丁目との間で境界変更を実施。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7075907