山寺
【やまでら】

旧国名:越後
古くは三保といったという(西頸城郡誌)。姫川支流根知川上流右岸。山寺は北水保寺(水保)に対して南水穂寺とも称したという(糸魚川市史)。往古は当地に千手院・金蔵院・弥勒院・東仙坊・中光坊・積宝坊・十重坊・玉蔵坊・最勝坊・東宮坊・藤本坊・南正坊の12坊があったという。地名はこの山寺十二坊に由来する。戦国期,天正10年千手院を中心に上杉氏のために働いた。また,同14年には「山寺御領分」の棟役・段銭が西片房家から免除されている(金蔵院文書)。その後,兵火で山寺寺院群が焼失し,由来沿革等は不詳。南の山中に日吉社(山王権現社)があり,千手院の鎮守社であったが,のち根知谷の総社に昇格した。山寺と別所に社領があった(糸魚川市史)。毎年9月1日の同社の祭礼には「根知山寺の延年」の舞が奉納される。舞曲の口拍子から通称おててこ舞という。信濃路は地蔵峠を下ると越後路に変わる。その街道は,千手院前から南が上海道,北が下海道と呼ばれたらしく,その遺称が地字となっている。この街道を,平安期に坂上田村麻呂遠征軍の支隊が通ったとする説がある。
【山寺村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【山寺(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7078968 |




