倉ケ谷
【くらがたに】

旧国名:越中
仁歩(にんぶ)川の上流に位置する。真宗西派桐野山聞名寺(八尾(やつお)町今町)の通坊があった土地で,現在も聞名寺屋敷跡と呼ばれ礎石を残す。天正11年城生城主斎藤信利と結んだ聞名寺が,佐々成政の攻撃をうけた際,聞名寺4世覚証三男夜叉丸は,坊主(ぼうしゆ)としてこの地に隠し蔵を建て,万一に備えて聞名寺の財宝を移し,自らは佐々軍に対し勇戦したという。このため倉ケ谷の呼称が起こったと伝える(八尾町史)。
【倉ケ谷村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【倉ケ谷(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7081194 |




