小長谷
【こながたに】

旧国名:越中
久婦須(くぶす)川下流両岸にひろがって位置する。地元の伝承では大長谷の山伏が土着開拓し,大長谷と地形は似ているが小地域であるため小長谷と名付けたという(婦負郡誌)。また,大長谷栃折(とちおり)の岡田家に先祖の1人が小長谷村を拓いたとの伝承がある。天正11年8月20日付「佐々与左衛門知行宛行状」(土佐国蠹簡集残編/大日料11-4)に「四百八拾俵之所 婦負郡黒瀬内小永谷両むかい」とあり,黒瀬内は久婦須川流域を指し,黒瀬谷と呼ばれる一帯,両むかいは久婦須川の両岸を意味し,「小永谷両むかい」とは江戸期の小長谷村を指すと思われる。
【小長谷村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【小長谷(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7081416 |




