五郎丸
【ごろうまる】

旧国名:越中
「ごろまる」ともいう。庄(しよう)川扇状地の扇頂部寄りに位置する。村の伝えによると,地名はむかし庄川がこのあたりを流れていた頃,五郎丸という船が難破して沈んだことにちなむ。今の氏神の社地が船の形をしているのはそのためだという。しかし,丸は名田で「郷村名義抄」に,かつて五郎という者が住んでいたからとしている説もある(越中志徴)。「稿本五鹿屋村史」にも次の所伝を載せている。倶利伽羅(くりから)の戦いに敗れた平家の落武者のうち2人の兄弟が土山(福光(ふくみつ)町)に逃れ,1人は僧となり他の1人は百姓になり,のちにこの地へ来て村を開いた。その名を五郎丸といったので村名としたという。寛文10年の村御印に庄下五郎丸村とあるのは,礪波(となみ)郡内に五郎丸村が2か村あるので郷名の庄下(しようげ)を冠して区別したものである。
【五郎丸村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【五郎丸(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7081482 |




