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庄川
【しょうがわ】


古名は雄神(おがみ)川。富山県西部,呉西(ごせい)平野を灌漑しながら北流して富山湾に注ぐ1級河川。14の支流を有する。流長132km。岐阜県大野郡荘川(しようかわ)村の烏帽子(えぼし)岳に源を発し,飛騨高原を曲流しながら峡谷をつくり,東礪波(ひがしとなみ)郡庄川(しようがわ)町金屋(かなや)で山地からでる。水源付近は比較的開けているが,白川(しらかわ)村や五箇山(ごかやま)では庄川峡として知られる断崖絶壁の景勝地を形成。平地では,呉西平野の一部礪波平野の主要部を占める庄川扇状地を形成。川名の由来については,「越中志徴」に「此川は礪波,射水(いみず)二郡にての大河也。庄川の名は,後世にて古名は雄神河,中古雄神の庄名よりして,雄神庄川と称し,後略して庄川と単称せしものなるべし」とある。また「宝暦十四年調書」に「飛州みそおれ峠という所より流れ出る川と,白山下より流出るあら谷川,其外飛州の内谷々より流出る川々,同国にて落合,飛州にては白川と呼べり。越中にては庄川という。射水郡伏木(ふしき)湊にて海へ入る。水源より海迄大概四十里許。但雄神川ともいう。庄金剛寺村に雄神神社ある故地」(越中志徴)とある。谷口付近で,きわめてけわしい峡谷をつくるため,五箇山と呼ばれる隔絶された山村地域を形成,平野ではいくつもの分流をつくって扇状地面を流れ,主河道を変えながら堆積を繰り返した。「越中志徴」に「或書記にいう,往古は庄の弁才天(べんざいてん)前より西の方高瀬村を経て,野尻(のじり)川・福光(ふくみつ)川に落ち合い,川崎村の北清水村・本江(ほんごう)村にて一川に成る。是より小矢部川と唱えしなり」とあるように,古くは小矢部(おやべ)川に合流していたようである。その後,洪水のたびに主流は東へ移り,宮川・中村川・新又(あらまた)川・千保(せんぼ)川となり,天正13年の大地震で干保川と中田川(庄川)が主硫となり,さらに,寛永7年の洪水で庄川に主流が移った。寛文10年から正徳4年にかけて行われた弁財天前松川除(よけ)の築堤は流路の安定と洪水防御をかねた大工事をはじめ,加賀藩による旧河道の締め切り,堤防の造成,新河道の開削により河道が固定。上流部では昭和5年の小牧ダム建設以来,祖山(そやま)ダム・小原ダム・成出(なるで)ダム・椿原(つばきはら)ダム・御母衣(みほろ)ダムが相次いてつくられ,それに伴って,国道156号が開通,山峡の景観は一変。平野部では昭和5年庄川町金屋にダムが建設され,礪波平野を灌漑する用水路が合口化された。高岡市の東部を流れて,新湊(しんみなと)市で日本海に注ぐが,上流のダム建設により,合口付近から河口までの約30kmにわたって河床低下が著しくなっている。庄川に流入する主要支流に山田川・小撫(こなで)川・渋江川・千保川などがある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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