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中町?
【なかまち】


旧国名:越中

(近世~近代)江戸期~昭和43年の町名・大字名。明治22~34年は氷見(ひみ)を冠称。射水(いみず)郡阿努(あぬ)荘のうち。湊(みなと)川の東側に位置し,江戸期に氷見町が南十町・北六町と分けられた際,北六町の中心部にあったので地名となる。加賀藩領。氷見町北六町の1つ。元文2年の戸数98・地子米は75石余(憲令要略)。神社には日宮神社があり,北六町の総社で,毎年6月14日(旧暦)の祇園祭は氷見町の総祭りとしてにぎわった。明治6年郷社に列せられた。はじめ北六町は南十町とともに朝日山山王権現および祇園社(境内社)を総社として祀っていたが,享和年間に至り北六町と南十町との間に大紛争がおこり,北六町は南十町と離れて,日宮神社を総社として独立し,京都から祇園社を勧請して独自に祇園祭を行うに至った。ただし祭日は同日で,以後南町は曳山車を繰り出し,北町は立物(たてもん)を造って曳き回し,南北は盛大さを競うようになった。立物は高さ10m余の巨大な張子人形で町内ごとに造り,車に乗せて曳いたが,明治以後廃れた。寺院には曹洞宗光禅寺と日蓮宗宝徳寺がある。前者は嘉暦元年明峰素哲が創建した名刹,後者は宝徳元年日祐の創建である。中町は寛政12年・文政7年・安政4年としばしば大火に見舞われた。明治5年氷見郵便局が開局された。同9年石川県,同16年富山県に所属。同22年射水郡氷見町の大字となる。大正8年氷見町役場が置かれ,昭和13年氷見町の大火後移転。同2年の戸数158・人口632(氷見町案内)。同23年氷見町の大火にみまわれ,全焼した。同27年からは氷見市の大字。同40年の世帯126・人口584(統計ひみ)。同43年現行の比美町・丸の内の各一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7083248