針山後新
【はりやまのちしん】
旧国名:越中
寛永年間,牛ケ首用水開削と並行してできた新村で,大白石村豊助の下百姓次郎右衛門伜紋右衛門が開発。紋右衛門は,元禄10年,孝子の鑑として藩より白銀10枚が与えられ,2人扶持が許されている(国事雑抄・新湊市史)。西方の足洗潟は沼沢地で,稲作にはタズル舟(田舟)が使用された。
【針山後新村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【針山後新村(近代)】 明治22年~大正4年の射水郡打出本江村の大字名。
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7083780 |