柳町?
【やなぎまち】

旧国名:越中
(近世~近代)江戸期~昭和40年の町名。明治17~22年は冨山を冠称。冨山城下本町分三十五町の1つ(町方旧記抜書/県史近世下)。城下のほぼ中央部で,鼬(いたち)川の東に位置する。町名の由来は,冨山最古の町で,鼬川の縁にあり,柳が多かったことによるという(富山市町名の由来)。天保12年の「富山町方旧事調理」(県史近世下)には「壱丁目を往古より古柳町と唱え候」との記載がある。安永8年には1~3丁目があり,家数128,内本家84・貸家44(町方旧記抜書/県史近世下)同年,富山町の酒造店13戸のうち1戸が当町にあった。天保12年には丁目数は変わらず,本家貸家竈数130・人口560,うち男277・女283橋数4。2丁目に真宗正竜寺,門内に同宗長安寺,3丁目に真宗永宗寺があった(富山町方旧事調理/県史近世下)。宝永5年造営の通称柳町天満宮は明治6年於保多(おほた)神社と改称,同9年県社となる。菅原道真・富山藩祖前田利次・2代正甫(まさとし)・10代利保を祀る学問の神社である。参道の石橋は旧富山城大手門の石橋を移したものである。昭和2年富山市の史蹟名勝地の指定をうける(現於保多町)。明治3年合寺令執行の際,寺院の仏具類で鉄砲鋳造を企て,当町の正竜寺の境内に鋳造所を設けたという(富山誌史)。明治9年石川県,同16年富山県に所属。同22年富山市柳町となる。同42年には戸数196・人口631,うち男197・女434(富山市統計書)。同43年柳町小学校新設落成。昭和4年の戸数174・人口588,同30年の戸数136・人口630,昭和40年の現行の柳町1~3丁目・於保田町の各一部となる。
(近代)昭和40年~現在の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7084984 |