100辞書・辞典一括検索

JLogos

61

横田町
【よこたまち】


旧国名:越中

(近世~近代)江戸期~現在の町名。高岡横田町とも称した。高岡町地子町二十二町の1つ(高岡町図之弁),高岡町散町十四町の1つでもあった(高府安政録/高岡市史)。千保(せんぼ)川左岸の北陸街道筋に面する。寛文6年地子地と横田村請地との混成により成立。同10年の村御印では村高1,742石余,うち同4年の新田高22石・免4.5,小物成では鮭役107匆は退転,鱒役7匆(うち4匆出来)・紺屋役120匆(うち45匆出来)・室屋役20匆(うち10匆出来)・油屋役(うち45匆出来)・酒役10匆(高物成帳写)。同11年藩は町人と農民との雑居を禁じ,地内の百姓を横田村に移住させた。北陸街道筋で藩主参勤の通路にあたり,高岡町の入口であったため蹲踞場とされた。町の入口に大木戸が設けられていた。宝暦9年の出火で30戸を焼失,天明7年の大火で64戸を全焼(高岡沿革志)。俳人の清倹堂花精・五雲軒五卓の出身地。鎮守は慶長17年横田村から遷座した有磯八幡宮で,文政元年有磯神社と改称。天明5年の家数179,明治5年の戸数268(高岡市史)。同7年曹洞宗宗泉寺に西之学校が創設されたが,同9年廃止され,同10年育英・恰柔両小学校の文教場が同寺に設置された。のちに同15年高岡横田町小学校となり,翌年後者を民家に移し愛日小学校と改称。明治9年石川県,同16年富山県に所属。同22年高岡市横田町となる。同23年宗泉寺に愛日尋常小学校を開校,翌年同寺が焼失したため旅籠町巴座に移転。同27年日清紡高岡工場,同28年高岡綿工場が創立。同30年横田町尋常小学校が新築落成。同32年高岡実業貯蓄銀行,大正5年常木捺染工場,同6年日本プリント工場,昭和7年新興友仙染株式会社が設立された。戸数・人口は明治38年394・1,870,昭和4年400・2,466,同17年434・2,491(高岡市統計書)。同43年横田町1~3丁目・西町・金屋町の各一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7085113