北笹塚
【きたささづか】

旧国名:加賀
金沢平野,十人川下流左岸に位置する。もとは南笹塚と一村を形成し,地内にある古墳上には松・雑木・笹などが生い茂っていたので「笹塚」と称したという(加賀志徴)。地内には,縄文中期の標準遺跡で「北塚式土器」を出土する北塚A遺跡のほか,縄文~平安期の北塚B遺跡,古墳時代の北塚と遺跡がある。また集落南端にあるオマル塚古墳は,略円形の封土を有し,直径23m・高さ4m,頂上付近の直径は9mである(県史跡名勝調査報告・郷土辞彙)。その付近にある斯奴(しぬ)神社の社地も小高い塚状で古墳と推定されている(加賀志徴)。またオマル塚古墳の東方にある問屋畑と称する地は,中世の開墾から漏れた原野であったという(石川郡誌)。
【北笹塚村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【北笹塚(近代)】 明治22年~昭和18年の二塚村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7086753 |




