九谷磁器窯跡
【くたにじきようせき】

江沼郡山中町九谷に所在する近世初期の磁器窯跡。昭和54年10月国史跡に指定。古九谷窯跡の記事は享保21年の「重修加越能大路水経」に見え,古くから知られていた。山中町の中心,山中温泉の東南6.7km,大聖寺川沿いに通ずる県道14kmの九谷部落の東端,杉の水川と大聖寺川の合流点,大向いと呼ばれる山麓にある。丘陵の西側斜面に第2号窯,北側に第1号窯と,文政7年から2年間稼働した吉田屋窯が築かれていた。2号窯前面の水田に米田(しゆだ),九谷小学校裏に採石場などの関連遺跡がある。窯跡の調査は昭和34年,窯跡の数や規模・構造の概略を知る目的で行われた。昭和40年以降,県が大聖寺川流域の開発計画中に,九谷地内を多目的ダムの候補地とし,昭和44年測量を開始。ダム建設で古窯跡が水没するため,窯跡の保存の声があがり,昭和45~46年県による窯跡の本格調査が行われ,その結果国史跡として保存が決定された。調査の結果,3基の窯はすべて山麓の傾斜を利用して築かれた連房式登窯で,燃焼室(胴木間)・焼成室・煙道部からなる。第1号窯は全長34m・高さ11m,13房の焼成室をもつ。物原(陶片の捨場)から「明暦弐歳,八月六□(日ヵ),九□(谷ヵ)」の銘をもつ色見陶片が出土,熱残留磁器測定値(1670±30)とも符合する。第2号窯は全長13.7m・高さ6.5m,6房の焼成室をもち,1710±44の年代測定値を示す。吉田屋窯は4房の焼成室をもち,窯壁の煉瓦積みなど,江戸初期に比べ,技術的進歩が見られる。窯内,物原から多量の陶磁片・窯道具が出土。白磁・青白磁・青磁はじめ,黒釉磁・瑠璃・錆釉陶などを作っていたことが知られる。染付磁器のすぐれた技術,九谷特有の意匠で野趣に富む。開窯の時期については,伊万里との関連からの「九谷抹殺論」など,九谷の謎の解明に多大な資料が提供されている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7086871 |




