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白菊町
【しらぎくちょう】


(近代)明治5年~現在の町名。江戸期は前田平太夫家中で,町名の由来は同氏の家紋菊一文字による。はじめ金沢町のうち。明治22年からは金沢市の町名。道路の北東延長上に新橋があり,市の中心部に近い。「皇国地誌」によれば「県庁ノ西南,裏千日町ヨリ西ニ通シ,縦横数町トナリ,南ハ五十人町ニ通シ,北ハ千日町ニ連ル」とある。大正2年当町と西金沢の間に金野馬車鉄道が敷設されることが許可された。同5年工事が完了し,全線3.2km,運賃6銭,馬車4輛による金野鉄道が開通した。大正2年,北国劇場が新築完成し,片岡我重一座による舞台開きがあり,同4年には劇場の隣に活動写真常設キンシ館が開館し,金沢の繁華街の1つになった。その後,町内には冷蔵工場・木材工場・製函工場などが建設されたが,しばしば出火もしている。大正5年の戸数70・人口266。昭和30年の世帯数81・人口315。昭和41年北陸鉄道は赤字の石川総線の経営合理化のため,白菊町駅は朝夕のラッシュ時のみ発着するようにしたが,同45年旅客営業を停止し,同47年には貨物営業も停止して,白菊町~野町間0.8kmは撤廃された。真宗大谷派の瑞泉寺があるが,元は上宮寺と称し,慶長8年,金沢片町に移り,万治2年に御用地となったため現在地に代替地を与えられて移転したもの。西派(本願寺派)に属していたが,越中井波瑞泉寺から後継者が入り,井波瑞泉寺が東派(大谷派)に転じたため,上宮寺を改めて瑞泉寺と称するようになった。まもなく当寺も東派に転ずる。東派触頭の1つ。昭和44年五十人町・千日町・裏千日町の各一部と石坂川岸町・裏五十人町・北石坂新町を編入。同45年の世帯数332・1,029。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7087670