一王寺
【いちおうじ】

旧国名:越前
丹生山地の北,七瀬川中流域の狭小な平地に位置する。「足羽社記」は「市皇子,今云一王子。天皇ノ子大市皇子ノ旧趾」と記す。一王寺の西山麓に中世の一王寺跡がある。応永21年正月の滝谷寺門徒次第に「七番 一王寺」と見え(滝谷寺文書),文安2年8月4日の一王寺東寺修造料足奉加人数注進状には「越前国坂南本郷一王寺奉加人数事」とあり,8人の名が載る(京府東寺百合文書ヌ)。また文明2年11月には朝倉孝景により「一王寺」の本郷内の寺領が安堵されている(大安寺文書)。さらに永禄3年と思われる9月17日付で一王寺院主朝秀が滝谷寺に宛てた書状が見える(滝谷寺文書)。下って慶長7年4月13日の飯米合力日記に「〈一王寺〉本覚坊」とあり,滝谷寺への合力として「五斗」を進上している(同前)。一王寺は真言宗であったらしく,天正初年の一向一揆により焼亡したが,その後一部再興されたらしい。江戸中期以降,田谷村の大安寺支配となり,廃寺となる。「城蹟考」には「一説朝倉家之時代祈願所寺院之跡トモ 時代不知」とあり,城にも利用されたらしい。なお慶長国絵図には「一王寺村」212石余と見える。
【一王寺村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【一王寺(近代)】 明治22年~昭和42年の大字名。
【一王寺町(近代)】 昭和42年~現在の福井市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7090951 |




