河合?
【こうご】

旧国名:越前
川合とも書いた(斎藤甚右衛門文書/勝山市史資料篇)。滝波川と支流奥河内川の合流点付近の山間部に位置する。天正2年平泉寺を滅亡させた一向一揆の一大勢力七山家の1つ。七山家の一揆勢と平泉寺滅亡後に北袋(勝山)領主となった柴田監物(義宣)との戦いを伝える鉄砲立・殿切原の字名や柴田監物の墓が残る。同19年12月17日の六呂師・河合・中尾三か村稗割(同前)に「かうこ村」と見える。また,古くは当村が滝波川を挟んで2つに分かれていたともいう(勝山市史)。慶長3年の検地帳には「越前北袋之内かふこう村」として村高36石余とある。
【河合村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【河合(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7092428 |




