末政
【すえまさ】
旧国名:越前
坂井平野東部に位置し,中央を高椋用水が流れる。中世,豊原寺末の乱白寺があり天正3年織田信長の越前平定の際滅ぼされたと伝え,乱白という字名が残る。慶長国絵図では「高ほこノ郷」のうち。慶長3年の検地帳によれば先高562石余,出分42石余,合604石余,屋敷7石余で,上田・上畠はそれぞれ全体の8割強,9割弱を占め,名請人は24名で半数が20石以上の高持(高椋家文書)。
【末政村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【末政(近代)】 明治22年~現在の大字名。
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7093333 |