田方町
【たがたちょう】

旧国名:越前
(近世)江戸期~明治7年の町名。江戸期は府中町,明治2年からは武生(たけふ)町の1町。田形町とも書いた(武生市史)。市街域の拡大によって,馬面町から南の高瀬村へつながる道沿いに町家がたち,一町を形成した。田方に発達した町であったから田方町といわれたのであろう。貞享3年閏3月26日の府中町間数改覚(金剛院文書)には馬面町に注記して「外36間田方久成寺前迄」とあり,かなり早くから町の形成がなされていたものと思われる。正徳元年の府中総絵図には町名が見える。また明治8年の武生市街分間図には町の南部を「上田方町」,北部を「田方町」と記している。家数は安永3年60(前田家文書),嘉永4年86(南条郡誌),明治7年70(同前)。馬面町の家数よりはるかに多かったが,馬面町の出町的性格が強く,馬面町に含まれて記録されることが多かった。慶長3年8月18日の長束正家府中寺庵中注文(正願寺文書/武生市史資料篇)によると法華宗久成寺6畝が記されている。久成寺の南には,道路を挟んで聖徳太子を祀る太子堂があり,天保10年に再建された(南条郡誌)。明治7年緑町の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7093515 |