道守荘
【ちもりのしょう】

旧国名:越前
(古代)奈良期~平安期に見える荘園名。越前国足羽(あすわ)郡のうち。足羽山の西,足羽川と日野川の合流点の南に立地。荘名は郷里制の里である道守里に由来する。なお国司の作成した史料には道守村と記されており,道守荘は荘園領主の東大寺側の呼称である。天平勝宝元年4月に東大寺の荘園を占定するため寺家野占使僧平栄と造東大寺司史生江東人らが北陸に派遣され,5月から閏5月にかけて,国司・郡司の協力のもとにいくつかの野地を越前で占定したが,道守荘はその1つである(東南院文書天平神護2年9月19日越前国足羽郡司解)。この占定に参加した生江東人は越前の東大寺領荘園の経営を援助するため,天平勝宝7年以前に足羽郡司に任命されて越前に下っている。東人は郡司に任じられる以前,足羽川の小稲津付近と想定される取水口より2,500丈(約7km)に及ぶ溝を自力で開き,墾田100町を造って東大寺に寄進した(同前天平神護2年10月19日越前国足羽郡大領生江東人解)。この墾田を基礎とし,道守荘は足羽郡内の東大寺領荘園のなかでも最も規模の大きい重要な荘園となった。これらの荘田は「元来犬牙百姓口分墾田」とあるように,農民の口分田や墾田と入り交じっており,また淳仁天皇弟の船王や平城右京の従七位上上毛野奥麻呂の戸口田辺来女の墾田とも入り交じっていた(同前天平神護2年10月21日越前国司解)。さらに天平宝字4年に越前に派遣された校田駅使によって越前国内の東大寺田の一部が公田と認定され,翌年の班田において百姓口分田として班給されたこと,さらに東大寺側が寺田経営のための溝堰を請うたところ,これを許さず郡司・百姓らが寺田使を捕え打ち,寺家の溝堰を掘り塞いだとされている(同前)。これらは道守荘にのみかかわる問題ではないが,藤原仲麻呂政権下において,彼の影響力の強かった越前国における国司側からの東大寺領に対する圧迫を示している。しかし道鏡が政治力を増すにつれて,東大寺領荘園にも保護が加えられるようになり,天平神護2年10月には寺領の一円化が図られた。この一円化は,越前国司の指示によって行われたものであり,具体的には設定された領域内において,船王や田辺来女のような押勝の余党の墾田や未開地,あるいは天平宝字5年に口分田として百姓に班給されていた寺田を没収する改正,本来口分田であった地や百姓の墾田を領域外の寺田と交換する相替,さらには墾田を東大寺が買い取る買得という手段によって遂行された。これらの手段によって寺田化された部分は34町6反64歩である。この一円化の結果を示すのが著名な道守村開田地図(正倉院所蔵)である。この開田図の中央部分に欠損があるが,当荘は少なくとも野地137町4反・墾田80町7反余を有していた。開田図には,蛇行する味間川(日野川)と生江川(足羽川)とに挟まれた地域の東から東南にかけて黒前山・寒江山・木山が,西南には難糟山が写実的に描かれ,東北と西南には比較的大きい数軒の家屋が描れており,これが荘所と推定されている。北部の生江川沿いに百姓家があり,その南および西北部に野地が多い。開田は荘の中央から南にかけて広がっており,また南から北に流れる寺溝をはじめとする用水路が書かれ,柏沼の記載もあって湿地帯であったことがわかる。この寺領一円化と併行して,長さ1,721丈と1,288丈の2つの溝が郡司生江東人によって掘り開かれようとしており,また先に道守荘の用水を押妨していた「道守目代」で水守であった草原郷人宇治智麻呂の処罰に関連して,郡大領の東人や郡少領の阿須波束麻呂も国衙に召喚され,過状を出すなどしており,荘保護のため厳しい処置がとられている(東南院文書天平神護2年10月20日越前国足羽郡少領阿須波束麻呂過状)。荘の経営については諸説があるが,造東大寺司より派遣された秦広人・倭画師池守らの田使や在地有力農民が「所」を拠点に農民に対して賃租を行い,地子稲を在地性の強い寺使の生江息島に納付するという体制が足羽郡の東大寺領荘園でとられており,道守荘もこの体制によって収納が行われていたと考えられる。それは造東大寺司や郡という官司制的支配と在地土豪による支配という2つの要素が兼ね合わさった支配といえるが,全体として生江氏が果たした役割は無視しえない。しかし越前東大寺領荘園の史料は8世紀中頃に集中しており,その後の様子は知ることができない。平安期の天暦4年11月20日東大寺封戸庄園并寺用雑物目録(東南院文書)には道守荘田326町2反55歩が見えるが,翌年10月23日の足羽郡庁牒(同前)では道守・鎧の両荘は条里はあるが,もとより荒野あるいは原沢で,さらに寄作人なしと報告されており,荘は衰退していた。下って天正3年9月に織田信長禁制が下した越前の「竹守村」はあるいは当地のことかと考えられる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7093709 |