八乙女
【やおとめ】

旧国名:越前
日野川と田倉川の合流域,杣山に続く山々の南麓に位置する。地名の由来は,東隣の社谷の白山神社の祭礼に当地の8人の舞姫を送って舞を奉納したことによるという(南条郡誌)。また,一説には杣山城落城の折ただ一人この地に落ちのび御殿谷の宮に仕えた女性を,村人が「神なぎ八乙女」と称したことによるとかいう(湯尾村誌)。杣山城落城の時,臈女が多数墜落して髢を岩にかけたという髢懸岩,杣山城落城後密かに逃れこの谷に留まったという幾久理姫,七条院の御陵地の廷舞殿を設けたところといわれる御殿谷や御殿谷の神に捧げる御供米を作った田のことだといわれる保神田の伝誦,さらには善阿弥長者の伝説などがある。慶長国絵図の南仲条郡に八乙女村100石余と見える。
【八乙女村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【八乙女(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7095493 |




