湯岡
【ゆのおか】

旧国名:若狭
湯岡山北麓,南川下流左岸に位置する。地名の由来は,中世には稲岡と称したが,山下から温泉が湧いたため湯岡になったと伝える(若狭郡県志)。「若狭国税所今富名領主代々次第」(群書4)によれば,山名時氏の代官らが文和2年7月に「稲岡ノ城郭」に立て籠ったという。天正2年8月の地蔵米名米銭納帳案(妙楽寺文書/小浜市史社寺文書編)には「上稲岡」の三郎大夫が見え,戦国末期には上下の区分のあったことが知られる。また,同16年7月21日の伏原村検地帳写(伏原区有文書/小浜市史諸家文書編)に「湯岡」が見え,戦国末期には湯岡の呼称も使われるようになったらしい。翌17年4月28日の井上三介書状にも「湯岡山」とある(長井健一文書/同前)。集落南側の山頂には南北朝期から中世末期の湯岡城跡が残る。
【湯岡村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【湯岡(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7095624 |




