海岸寺
【かいがんじ】

北巨摩(きたこま)郡須玉町上津金にある寺。臨済宗妙心寺派。山号は津金山。本尊は釈迦如来。古く養老年間に行基が開創し,当時は現在地の東2kmの心経寺山の奥に所在したとの古刹伝承があるが(寺記),現宗の寺としては南北朝期の石室善玖を開山とする(国志・寺記)。石室は鎌倉末期文保2年入元し,金剛幢下の古林清茂に参学嗣法した後に帰国,京都天竜寺(8世)・鎌倉建長寺(43世)などに入寺,武蔵国岩槻に平林寺を開き,直指見性禅師の諡号を贈られる(本朝高僧伝/仏教全書103,五山歴代ほか)。当寺開創について「国志」では応安元年から6年に及ぶ建長寺住持を務めた後に,「寺記」では岩槻平林寺を開いた後に創建したとする。以後の寺歴は武田氏の保護を受けたと伝える以外未詳で,天正10年織田信長の甲斐侵攻の際,兵火に罹り什宝・寺記などを焼失(寺記)。慶長8年の四奉行黒印で,寺領5石と寺内門前360坪が安堵され,同11年には制札が下される(海岸寺文書/甲州古文書2,寺記)。創建以来鎌倉建長寺末であったが(国志・寺記),寛文6年に火災に遭い,翌7年中興開山即応宗智が現宗派へ改宗(寺記),前記の寺地・寺領が継承される(同前)。木造千手観音立像(国重文)は,行基が当寺を開いた際に現れたと伝えるが(寺記)昭和初年盗難に遭い,現在所在不明。江戸期には参詣者が多く,甲斐国三十三番観音巡礼の第13番で甲州八十八カ所霊場の第48番札所でもある。境内には信州高遠の石工守屋貞治によって刻まれた数多くの石仏が並び,落ち着いたたたずまいは広く知られる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7096413 |